誕生日という他人には何にも関係ない日
日付けが変わった
辛い1日が始まった
自分の誕生日が大嫌い
誕生日前日の夜、24時に迫っていくのに比例して胸がもやもやざわざわする
日付けが変わる瞬間を、そしてここから24時間、誕生日をいかにやり過ごすかずっと考えてる
この日だけはスマホを投げ捨てて誰とも繋がりたくない、消えたいとすら思う
今日がその大嫌いな誕生日で
大学入ってから誕生日が大嫌いになった
小学生の頃から中学生までは、誕生日は夏休み真っ只中だから、他の子達のように学校で友達にお祝いされることは無くて、それが当たり前で、決まって家でチョコレートケーキ食べて家族にお祝いされる事になってて
高校では恋人が一緒に過ごしてくれたりしたし、クラスの女子グループラインで友達がお祝いのメッセージくれたりして、とっても嬉しくて温かい気持ちになって、幸せで
でも大学生になったら、みんな、学食だったり、サークル終わりでお店行ってだったりで
サプライズでケーキ出されてたくさん飾り付けたり風船飛ばしたり手作りアルバムもらったりして、その様子をインスタに投稿したりしていいねいいねいいねって
私もそうゆうことやったんですよ、やりましたよ、デパコスとケーキ代、みんなで割り勘して1人をお祝いして、もちろん楽しかったし、美味しいものもみんなで食べて、また来年もお祝いしようねって
でも私がいたグループ、8月生まれが私含めて3人いたんです
そしたらね、4年間で、一回もお祝いしてもらえなかった
でも他の2人はその中の何人かでお祝いみたいなされてたりとかあって
なんか、毎年こうゆう気持ちになってたら、すごい悲しくて、寂しくて
でもこれはね、私がね、きっと、悪いんですよ
私のことお祝いしたい人がいなかったんだよね
単に私が好かれてなかったんだろうね
サークル引退しても、みんな単位取りきって学校行く日もなくなってきても、グループは在って、たまに数人集まったり遊んだりしてたけど、私の誕生日にメッセージくれる人なんていなかった
私は友達がいないという自覚はあった
完璧に大学では友達付き合いに失敗したし
高校や中学の友達も、だんだん疎遠になって
何人かメッセージくれるのが涙出るほど有り難くて、ああ、覚えててくれる人もいるんだなって
小学生の頃から友達と先生にお祝いしてもらうの、給食の時間に、〇〇ちゃんお誕生日おめでとう、カンパーイ!って牛乳で乾杯するの、ずっと、憧れで、いいなって思ってて
高校では恋人にお祝いしてもらっても、なんか虚しくて
友達みんなに囲まれて、みんなでケーキ食べたりしてみたいなって、ずっと思ってて、
でも大学入ってもこんな感じで、叶わなかったけど
でももう、みんながお祝いしてくれないから悲しいとかじゃなく、
誕生日は、誕生日覚えててくれるような、そうゆう友達が、私には全然いないってことを思い知らされる日だから悲しい、虚しい
私は他の誰の中にも残らない人間だってことが浮き彫りになるから、恥ずかしい、情けない
実際、大好きな友達でも誕生日知らなかったり、知ってても当日には忘れちゃってたり、私もそうゆうのあるし、誕生日覚えてるからいい友達とか、お祝いしないからひどい友達とか、そうゆうので測れるもんじゃないってのも分かってるけど、普段だったらこんなに、ひとりぼっちを照らし出されることもなく、ここまでその情けなさを自覚しないでもすむのに、誕生日という要らない特別感が、否が応でもこうゆう感情にさせる
もう、なら、みんなみんな忘れてほしい
今日だけは私のことを、誰もが忘れていてほしい
変な期待も、悲しみも、全部無くて済むから
去年までは恋人がいたから、何とか、孤独に押し潰されずにやり過ごせたけど、今年はもう、そうじゃない
出来るだけ、気配を消して、小さく小さく小さくなって、息を殺して、誰にも気づかれないように
いつも誕生日に感じる憂鬱を吐き出したくなって、誕生日にブログに書いてる時点で、かなり天邪鬼的行動だけど、本当は私だって、
と、思っちゃう自分も嫌い
誕生日なんて大嫌い