映画の恋と自省

 

 

この気持ちに、とっくに名前は付いている。

これは執着だ。

未練と呼ぶには日が経ちすぎて、諦めを含みすぎている。だからこれは執着だ。


自分で振り返ったら、背中に隠すようにして、君の抜け殻の裾を摘んだままの自らの指に気づいてしまうのをわかっていた。

裾をたぐり寄せて、うっすらと君の香りの残る冷たくなったシャツに顔を埋めて、また世界を見えなくしてしまうから、考えないふりをして、手放したふりを、続けている。

考えないようにしているということは、すでにもう考えている。そしてそれが毎日の日課になっている。SNSを開けば君の名前がすぐ目に留まる。更新があると胸がちくりと痛くなる。鼓動がはやくなる。タップする指が震える。そこに知らない女の子が微笑んでいても、と覚悟を決めて目を見張る。予想が外れて胸を撫で下ろす。
行った場所、見た映画、誰と?と想像して悲しくなる。何気なく写り込んでいる君の節張った指が、薄くて丸い爪が懐かしくて、その感触を思い出す。
そんなことを毎日続けている。勝手に不安で、勝手に悲しくて、勝手に寂しくて。会いたくて、話したくて、何でもないことを。ごめんね、まだ好きかも。まだ忘れられないみたいなんだと。
日々はあの日から変わらない、もう君は私の一部であること。

ひと時の美しさが、根を持たない、花束のようであるなら、
あとは萎れて枯れていくのを眺めるだけなら、枯れた後、その恋はどうなるの?
ごみに捨てるの?土に返すの?


「今度はちゃんと根のはった花を咲かせる恋がいいな」
あるかもわからない今度を考えて
あったとしても、それは君とじゃないのにな
二度と君とは恋できないのにな
そんな風に、君と恋がしたかったのにな

綺麗な花が咲いた。それを花束にしたあの日から、とっくに花束は枯れたのに、恋の根っこだけがまだ、私の中に取り残されて埋まったままになっている。