汚れっちまった悲しみに

この記事はジョンソンエンドジョンソンのジョンソンの方が担当します


今日から相方のジョンソンとブログを書くことになりました、ついさっき
こうやって、やろう!と突然思ったことも、馬鹿げた話も、すぐ行動にうつせるって、本当にすごいことだと私は思うのです
そんなの出来て当たり前と、できる人は無意識だけど、出来ない側の人間からしたら、本当にすごいこと
しかも私は、わかっていても出来ない、やるまでが一番嫌、ってゆうタチの悪いやつ
ブログを始めるとか、こんな小さなことだとしても、私を引っ張って、狭い世界から一歩外へ連れ出してくれる友人って、本当に大事でして

まあ私、行動力とか決断力とか、そうゆう問題とかについて考える力とか、圧倒的に足りないんです

 

だから今日、話をきいて思ったことは、相方のジョンソンが昨日体験したことは、とても素晴らしいことだということ

 

私は狡く、曖昧に、保身に走り、美味しいとこだけ味わって、苦いところは捨ててきました
もうこれ以上傷つきたくないという気持ちで真実を知ることをせず、寂しいという勝手な気持ちで傷つけた人にまで慰めを求めました
自分を甘やかしてくれる環境を知っているんです、そこの中でだけ、のうのうと生きてきてしまったんです、恥ずかしいですね

 

きっと彼女が昨日今日と感じた気持ちは、流れていた涙は、真っ直ぐで、清らかで、人を傷つける覚悟と、人に傷つけられる覚悟を持って、ただ一人を誠実に思っていた人だけが知り得るもの、流せる涙だったのだろうと

 

初めて出会った頃から頭1つどころか、2つ3つと秀でて美人だけど、目を赤くしてぽろぽろと涙を流す彼女を見て、綺麗だと思いました

 

ずっと一緒にはいられないこと、頭ではわかっているそんなこと
たくさん迷惑をかけて、迷惑をかけられて、感謝して、感謝されてきたのだけど、ちゃんとお別れとありがとうを言って終わりにできたことがない私には、今日の彼女は眩し過ぎました

 

大丈夫です、彼女は幸せになります
あんな綺麗に泣く人に、優しく寄り添って抱きしめない男はおらんよ

 

次のお別れはちゃんと言えるといいね、と自分に、

さあ、人は簡単には変われないからねえ、と自分が

 

汚れっちまった悲しみに揺蕩います、おやすみなさい